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時は――一刻ほど遡り。
奇妙な訪問者、権蔵が帰った直後のこと。
嵯峨美屋吉右衛門は、番頭の松之助に火鉢の始末と訪問者についての口止めを言い置くと、勝手口から深夜の通りへ滑り出た。
紫紺の風呂敷に、錠前が収まった木箱を丁寧に包んで、大切に小脇に抱えている。
――この代物が、あの男の言うように十両の価値があるのなら、辰次郎親分に売りつけて、借金を一気に減らしてやろう……!
半信半疑ではあるが、本当なら大変な幸運だ。喜び逸る気持ちは抑えられず、弾む足取りは自然と小走りになった。
暗闇に紛れて塀の陰から伺っていた権蔵の存在には、気付くはずもない。
辰次郎の船着き場の小屋には、不本意ながら何度か連れていかれたことがある。そんな理由で、夜でも迷わず場所を把握しているのは、皮肉なことだ。
結局、四半時もかからずにたどり着いた。
「すみません! 親分は、辰次郎親分は、いらっしゃいますか!」
早足で乱れた息を整えつつ、戸口をドンドンと叩く。
「――あん? こんな時間に、どこのどいつだあ?」
いかにも柄の悪い野太い声が返り、夜更けの訪問者を威嚇する。
「す――すみません、アタシは、嵯峨美屋です。辰次郎親分に、お届けものがありまして、夜分に伺いました」
「なに、嵯峨美屋だと?」
別の声が鋭く聞き返した。少し若い声の主には心当りがある。
「は、半造さん? 半造さんでしょう? お願いです、辰次郎親分に会わせてもらえませんか!」
「……おい、開けてやれ」
ガタガタと大きく響かせて、引戸が開く。中には半造と定吉、それに人相の悪い大男が立っていた。この大男、確か盆場で用心棒を勤めていた姿を、一、二度見掛けた覚えがある。
「あんたから来るたァ、珍しい。今夜は何の用だい」
小上がりの畳の上で、肩越しに振り向いたのは七兵衛だ。
火鉢を囲んでいるものの冷えてきたとみえて、酒を引っ掛けながら、仲間内で花札に興じていたらしい。
「……親分が頼まれていた錠前を、お持ちしました」
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