其ノ十七

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「で、異変ってぇのは、太夫が死ん――本当に死んじまってから起きている、と……?」  閉じた障子越しに朝日が射してくる。それでも晩秋に差し掛かった朝は寒い。火鉢にあたるも、部屋の中の空気はひやりと冷えていた。 「へい。あの火事から、まだ半月も経っておりませんのに、こうも次々と不幸ばかり起こるのは、朝香様の祟りかと」  松之助は渋い顔で俯いた。 「祟りっていやあ、こちらでは幽霊騒ぎがありましたな?」  岡っ引きの新八(しんぱち)は、かつては賭場にも出入りしたケチなスリ師だった。同心・片岡に捕らえられた後は改心し、町方の手足となって久しい。かつて逃げ足でならした健脚は衰えつつあるが、その分、裏社会や市井の噂には耳ざとい。  初老に差し掛かろうかという白髪頭を掻いて、松之助をじろりと見据える。 「……へぇ、あの幽霊騒ぎで、うちの女中や奉公人が随分辞めました。登喜枝様も、そのことが原因でご実家に帰られてしまいました」  悲し気に瞳をショボつかせるも、眉間に刻まれた皺は悔しさの表れだろう。  片岡は、正座した膝上で握られた両の手が小さく震えているのを見逃さなかった。 「登喜枝とは……?」 「吉右衛門の女房です」  素早く新八が補足する。 「ふむ。そもそも、太夫の死因の火事は、何故起こったのだ?」 「それは――」  ペラペラと内情を吐露していた松之助が言い淀む。 「隠しだては為にならんぞ」  すかさず新八が追い打ちをかけた。松之助は、観念の色を浮かべる。 「へぇ、恐れ入ります。あの火事は、大旦那様が……『不注意で、室内の灯籠を倒してしまった』と若旦那様に話しておりました」 「なんと。故意ではないにせよ、太夫を見捨てたと申したのか」 「いえ、そのようには」 「盲た女を炎の中に残したのであろう? 同じことではないか!」  慌てて否定した松之助だが、返す言葉に詰まる。恩義ある主人らを背く格好になり、額に脂汗が滲んだ。 「惨い話ですな」 「して、現れた幽霊とは太夫の姿をしていたのか?」  手の甲で額を拭い、松之助は頷いた。
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