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その夜も、高原は、宇賀神の私室の前で、般若心経をひたすらに唱えていた。
宇賀神は、愛するひとを自分だけのものにしておきたい反面、自分だけという状態はよくないということをよくわかっているから、川嶋が桔平たちと会うことを否定しなかったが。
絶対に自分から離れることはない、と知っているのに、それでもやはり軽い嫉妬は抑えられないらしく、今夜は特に激しくしつこい。
途中から、甘い喘ぎに混じって、川嶋の啜り泣く声が漏れてくる。
あまりに激しく攻めたてられて、感情の箍が外れてしまったのか。
「りゅう、もぉムリ……おねが、い……やだ……」
泣きながら懇願する声は、いつもにも増して扇情的だ。
宇賀神の低い声は、何を囁いているのかまでは聞き取れない。
が、次の瞬間、川嶋の喉が悲鳴に似た絶叫を響かせた。
長い、絞り出されるような悲鳴は、つと、途中でぷつりと糸が切れるように途絶える。
おそらく意識を飛ばしたのだろう。
高原は、目の前の廊下の木目を睨みながら、ひたすらに経を繰り返す。
そのひとは出逢ったときには既にもう、崇拝する相手のものだった。
いや、そんな言葉では表せない絶対的な関係。
もちろん、奪いたいなんてそんな身の程知らずなこと、一度もどころか一瞬も思ったことはない。
宇賀神と川嶋は二人でいないとダメなのだ。
一心同体という言葉を、体現している二人。
でも。
ただ、こんな悲鳴のようなせつない喘ぎを聞くと、胸が酷く苦しくなる。
それだけだ。
がらり、と部屋の扉が開いた。
「風呂に行く。悪いが部屋を片付けておいてくれ」
気を失っている華奢な身体を軽々と抱き上げている彼の崇拝する男は、高原にそう声をかけた。
「はい」
彼は短く了承の返事をする。
その腕の中に人形のように抱えられているひとの、くるまれた毛布からはみ出ている白い脚を、なるべく視界に入れないよう、視線を廊下に固定したまま。
いつもは後片付けも自分でする宇賀神だが。
今日みたいに、激しくし過ぎたと自責の念に駆られているときは、高原に後片付けを頼むことがある。
そのときのベッドの乱れ具合は凄まじい。
散乱したティッシュや諸々のゴミを片付け、あらゆる体液にまみれたシーツを新しいものに交換し、きっちりとベッドメイクを済ませて、高原は洗濯物を持って部屋を出る。
シーツには、どちらのものかわからない血が滲んだ痕も残っていた。
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