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おかえり
あの日のことは、生涯忘れられません。昭和20年6月、私の元へ一つの小包が送られてきました。入っていたのは、二十歳の一人息子「志郎」の死亡告知書と、木箱に入った一個の石ころでした。
息子は、子供の頃から身体は大きいけれど優し過ぎる性格で、喧嘩するのを見たり聞いたりしたことは一度もありませんでした。そんな息子に「おめでとうございます」の言葉と共に召集令状が送られてきた時は、目の前が真っ暗になりました。結核で早くに夫を亡くし女手一つで育てた息子は、私の心の支えであると同時に唯一の希望でしたから。
まもなく、町中の万歳の声に見送られて戦地に旅立っていきました。
その息子が、石ころに姿を変えて帰ってきたのです。
告知書には、昭和20年4月30日ルソン島にて戦死と書いてあるだけで、どんな状況で何が原因で死亡したとかの記述は何一つありません。遺骨も遺髪も無くただの石ころ一つ。 こんなもので息子の死に納得出来るわけがありません。軍に問い合わせてみましたが、何の返答もありません。
やがて終戦。どうしても息子の死が受け入れられない私は、その最後の様子を知りたくて、あちらこちらに聞いてまわりました。でも、同じ部隊に配属されていた人達の消息で明らかになったのは戦死の知らせばかりでした。
十年が経ち、あきらめの気持ちが芽生えてきたある日、知らせが入りました。息子と同じ部隊にいて帰国を果たした人がいて、今も健在らしいのです。
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