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だが時が進み、地が開かれた今は、結界の役割は必要とされなくなった。訪れる者は減っていき、記憶からも消え、僕の存在を知る人間は彼女ひとりとなってしまった。
その彼女さえ、もうすぐいなくなる。
代々、社を守る役目を負った彼女の一族は、もう彼女しか残されていない。数か月前にこの地を襲った天災で、皆命を落とした。力の弱い僕では、守ることが出来なかった。
そして彼女も、夢の為、生活の為、この地を離れるのだと僕に告げたのは先月のことだった。「ごめんなさい」と何度も頭を下げる彼女を、僕はただ、抱きしめた。
もちろん、その温もりが彼女に伝わるはずもない。彼女の温もりも、僕には伝わらない。だけど、そうせずにはいられなかった。蹲り、泣き声を上げる彼女を見ていると、そうせずには、いられなかった。
この地を守るのが、僕の役割。その役割さえ十分に果たせない僕に、君を縛ることはできない。君の枷になるくらいなら、いっそ記憶ごと消えてしまった方がいい。そう思った。
彼女がこの地を離れたなら、僕は消えていくのだろう。空に、風に溶けていくのだろう。だからきっと残された時間は少ない。だけどその時間でしたいことなど、もう僕にはなかった。この地で彼女を待ち、別れの時までを過ごす。それで十分だと思った。
「やあ、ここにいたね。」
「おや、これは。久しいですね。」
彼女を見送ったのと反対、山の方から声がかかり僕は振り返った。そこにはこの山の神が立っていた。この神域の最高位の神だというのに、共も付けず。時折彼はそうやって僕に会いに来ることがあった。
「どうだい、一杯やらないか。」
そして決まって、酒を持ってくる。だが、朝に来ることは珍しかった。
「まだ陽が昇ったところですよ。こんな時間から呑むのですか。」
「ははは。さすがはヒトと近い存在だね。言うことが違う。大丈夫さ、これくらいでは酔いはしないよ。」
「…そうですね。頂きましょう。」
彼の持ってくる酒には力があった。彼はいまだ多くの人に知られる強い神であった。その神の為、人が時間をかけ手をかけ捧げた酒を、いつも僕に飲ませてくれた。だからこそ僕はここまで永らえたのだろう。
喉を通る神酒は心地良く体を満たす。清き力が宿り、僕の光を蘇らせる。
「もうすぐ祭りの季節ですね。お忙しいのではないですか。」
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