1人が本棚に入れています
本棚に追加
背徳の月夜
彼女は森の中を彷徨って辿り着いたらしかった。擦りむいていた両膝は乾ききっていて、舌をあててやる気にはならなかった。
「…ここはどこですか?」
私の姿が見えていないらしかった。
「勝手に入って来てすみません、ドアには鍵がかかっていなかったから。」
ほお、幼い割にはっきりとものを言うものだな。
「あの、…兄とはぐれてしまって。」
兄は目の見えないお前をこんな森の奥深くに置き去りにしたのさと言ってはやらずにおいた。
彼女は躊躇せずに私の方へと歩み寄り、そのか細い腕を回し、頬に触れた。一瞬、躊躇して手を止めたと思ったら、両腕を首の後ろに廻すようにして抱きついてきた。
「大丈夫、寒くないです。」
「…ふ、ふはは。」
彼女を私の身体から引き離し、真っ直ぐに立たせてやった。その首筋に牙を立ててやらないために。
私は彼女の手を引いて、居間のソファに座らせてやった。
消毒液など、よくもあったものだ。この透明の液体に綿を浸して膝に当ててやると、乾いていた赤みが潤いをまし、口づけをしてやりたくなる衝動を抑えつけた。
彼女も傷口が沁みるのを、声をあげることなく良くこらえていた。
「いま、なんじですか?」
はて、何時だろう。時間など、もはや私にはなんの意味もないのだから。
「キャサリンといいます。」
はて、なんと答えたものか。名乗ってくれた相手に返事をしないとは失礼なものだ。
「あ…、」
「あ、アランさん?」
「ああ。」
「アランさんはお一人?」
「ああ。」
「傷の手当をしてくださってありがとうございます、アランさん。大変ご迷惑とは思いますが、はぐれてしまった兄さんはきっと迎えに来てくれると思うので、それまでここに置いてください。」
「ああ。」
いやいや、お前の兄さんはここへは来ないさ。こんな危険な森の中、置き去りにする目的でお前を連れて入り口まで来ただけだろうさ。万が一気が変わったとしても、森にはびこる獣たちの餌食になっちまっているに違いないさとも言わないでおいた。
そして、月明かりに照らされたお前のつぶらな瞳は、なにも映すことがないにしては、深い蒼があまりにも美しく、その黄金が散りばめられた巻き毛によく映えるという事実に驚いてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!