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バイトが終わって、鉛みたいに重たい足を引きずって家路に向かった。
内藤さんは、バイトの邪魔をして悪かった、と改めてお詫びして、何も言えなくなった俺を責めることもなく、帰って行った。
ずっと蓋をして心の奥の方に隠していた記憶がある。
幼稚園から小学校へ、中学校へ、そして今。当然、小さい時の記憶なんて忘れていく。削がれて、流されていく。
小さい頃。子どもなんて、難しい感情も知らず、喜怒哀楽しかないのだろうと、今の年齢になってからは思うけど、――本当に自分はそうだっただろうか?
独占欲、執着心、嫉妬、不安、狂気ですら、感情を持つものが生まれ出たその時から備わっているんじゃないか。
あの頃の写真を見るのは、何年振りだろう。秋那が、今とは全然違っていて、触ったら壊れてしまいそうで、でもそれが、とても神聖だった。
アキは、一度見てしまったら、心に棲み着いて、出て行ってくれなくなる。
家に帰りたくない。
秋那の顔を見るのが怖い。
「ハル」
呼び止められて、足が硬直する。
世界で一番、聞き慣れた声。顔を見るのが怖い、なんて思った途端に、幻聴だろうか。
「ハルってば」
肩にポンと手を置かれて、反射的に肩が跳ね上がった。
「あ、きな」
「どしたの、ボーッとして。バイト帰り? お疲れ」
秋那が優しく気遣ってくれる。さり気無く荷物まで持ってくれる。そんな事しなくて良いのに、俺はお礼も言えなかった。
「ハル、バイトで何かあった?」
「な、何も……ないよ。ミスもしてないし……立ちっぱなしで、ちょっと疲れただけ」
多分、いつもより歩くのが遅いはずなのに、秋那は俺に歩幅を合わせている。
俺にだけ、特別に優しいらしい秋那。でも、きっと秋那は本当なら皆に優しい人間なのかもしれない。こんな風に人を気遣えて、気付ける人なんだと思う。俺には到底、出来ないことだ。
「秋那、俺の事は気にしなくて良いから、先に帰りな。寒いし」
冬の凍てつく冷たさの中、こんなゆっくりなスピードに合わせてもらうのは申し訳なかった。先に行けと伝えると、秋那は少し考えてから、しゃがみこんだ。
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