吹雪のなかに消えたものは?

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それに●●地方はこの東北の中でも最も気温が下がる寒冷な地域である。ちょっとした天候不順で夏が冷たくなれば不作に陥り、それが三年も続けば飢饉となった。 それ故に江戸幕藩体制の●●地方にとって、不作と飢餓は日常茶飯時とまでは云わないが、そう特別なことではなかった。 殊に、浅間山の噴火に端を発する天候不順が原因の天明年間の大飢饉では 被害が甚大となり、目も当てられぬ地獄絵図のような惨状となった。 足手まといになると七歳以下の子どもは口べらしに川に投げ込まれた。飢えた人々は山をさ迷い、雑草や木の皮を口に入れた。犬猫は食べ尽くされ姿は見られなくなった。 冬は更に悲惨な状態であった。最早山に行ってもう何もなく、栄養不足の身体が寒さに耐えきれず息絶える者がたくさんいたようだ。飢えに耐えきれずその肉を喰らう者、犬の肉と云い売り歩く者などがいて、最後には人肉を求めた殺し合いなども起こったと伝わる。 現在でも、●●地方には飢饉倒れた犠牲者を慰霊する碑が数多く点在している。この碑の多くには古くから言い伝えられていることがある。この言い伝えは現在では廃れ、知るものは僅かな老人のみとなってしまっている。それはこのような言い伝えだ。     
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