初稿

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……実を言えばかねてより、永治の耳は小さな音をとらえていた。鉄を打つ音にまぎれるそれを『声』だと認識することはなかった。会話の内容がここまでハッキリと認識できるようになったのは、実家が火事に見舞われて両親が亡くなってからだ。 それは宗方家にとって大きすぎる損失であった。腕のよい職人の父、よくきのきく支え役であった母。和釘制作の家業を親族(といってもそう人数も多くないのは現状を見て察せるだろう)で率いていかなければならぬ、最近にわかに伝統工芸ブームがおこり、建築だけでなくちょっとオシャレなキーホルダーに用いられたりと和釘の需要は増していた。そんな中の支えの喪失。じわじわと若い職人を追い詰めていく。多忙の日々と、尊敬していた両親の死、燃え落ちた自分の生家。病んでもしょうがないと叔父なら慰めてくれるだろうか? でも「釘の声が聞こえる」なんて甥から打ち明けられたら? 「……病院、行こうか」 永治は叔父の口真似で結論を吐く。でもこんなくだらないことで仕事に穴を開けるのも心苦しい。コーヒーを飲み干すと頬を叩いた。 「心頭滅却、集中すれば声なんて気にならん」 『あ~ん踏まないでー!』 「声なんて……」 『あ~タイヤさんごめんなさーい!』 声はやっぱり気になる。しかもいつものくだらない雑談とは違う。釘が謝罪する声ってどういうことだ。ノイローゼここに極まれりと声のもとへ向かえば、遠目に叔母が自転車で工房から出ていくのが見えた。     
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