初稿

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ひしゃげているのは自転車に轢かれたからでなくもとからなのだろう。つまりは不良品だ。それなら叔父が他の釘から隔離しようとしたのも理解はできる。叔父にポケットの穴を確認しようと思ったが、また「どうしてわかったの」と聞かれるのも困るので黙っておくことにした。 2 釘の声に振り回されての帰宅だ。家がなくなってからは新たに家を借りた。釘を一切つかわない建築方式のこの家は、釘の声ノイローゼに悩まされ始めた頃に選んだ。自分でつくった釘以外の声は別に聞こえやしないが「そこに釘が無い」ということが重要なのだと永治は考える。 「おかえりなさい」 戸を開くと同時に出迎える声。ゆるいウェーブの髪をまとめた可憐な女性が永治を出迎える。 「今日もお仕事お疲れさま! ねえ聞いてえいじ君、今日ね、宅配便の人に『奥さん』って言われちゃった」 甘えるようで、でも媚びてはいない心地よい声。しかし永治はしかめっ面を崩さない。 「新妻ごっこはやめてくれ、姉さん」 宗方智世(むなかた・ちせ)は永治の姉だ。彼女もまた和釘つくりの家業を継ぐ身であり、特に和釘の先を尖らせる工程がうまく工房でも重宝されていた。 しかしひとりの男が状況を一変させる。「私、結婚するから!」と言って智世が宗方家を捨てたのはもう何年前のことだろうか。     
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