帰りゃんせ

8/19

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ
 ひどく寂しげなその旋律に、ぼくの肌がぞわっと粟立った。ふと足元を見ると、いつの間にかハスの影がまとわりつくように伸びている。ぼくは影にさえ捕まるのが怖くて、やみくもに走りだした。逃げ出すぼくの背に、あの歌がべっとりと張り付く。 「おうちがだんだん、遠くなる~、遠くなる~、  今来たこの道、帰りゃんせ~、帰りゃんせ~」  少し甲高いその歌声に追われるように、ぼくは暮れなずむ町の路地に迷い込む。室外機の出っ張りの下、やっと人がすれ違うくらいの狭さの道で足に限界がきた。 「はあ、はあ、はあ、はあっ」  立ち止まったぼくの背中に、汗でびっしょりのシャツが張りついて気持ち悪い。どこからか、夕飯に用意されているらしいカレーの匂いがただよってきた。  そう言えば、昨日の夜はまだカレーが残っていた。きっとお母さんなら、ぼくがオムライスにカレーをかけるのが好きって知ってるから、ぼくの分だけそうしてくれるはずだ。いつだって、お母さんはぼくのために特別を作ってくれた。  そうだ。口うるさいのだって、きっとぼくのことを思ってしてくれてるんだ。怒られるのだって、ぼくが悪い。ぼくが悪い子だから、叩かれるんだ。でもお母さんはぼくを叩いても、ぼく以上に辛そうじゃないか。ぼくはそれを知ってるのに、生意気に謝りもしなかった。     
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加