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なのにお母さんは、ぼくのへその緒が入っている桐の箱を引き出しから取っては、大事そうに手のひらに挟んであたためてた。ぼくを叱った後は、いつもそうやってお母さんが泣いてるのを知ってるよ。「大事な子、私の大事な子」って胸に抱くのを見たことがあるもの、何度も何度も――。ぼくが生まれたことを、いまだにあんなに大切に思ってくれるお母さんを嫌いになれるわけないよ。
ぼくを生むのにお母さんは命がけだったって言ってた。生むのに反対している人が多くて、お母さんは大変だったって。結局、自然に埋めなくて、手術してお腹を切って、ぼくを取り出したんだって。会えたときは、本当に嬉しかったって。あの桐の箱を見ると、それを思い出すって、お母さんは涙をためて言うんだ。
「お母さん……」
お腹をぐうっと鳴らしながら、思わずつぶやく。
「やだなあ。やっぱり、最後はお母さんなんだ」
耳のすぐ後ろに、息がかかった。
「うわああっ!」
振り返ると、いつの間には後ろに糸杉の目で笑うハスがいる。
「お腹が空いたから帰るのが許されるのは低学年までだよ。もう健司は高学年になるんだろう? お母さんなんて子供みたいな泣き言どうかと思うなあ」
「うるさい!」
ぶんっと腕を振り回すと、さっきまでいたハスの姿が消える。そして、少し離れた交差する路地から顔を突き出した。
「ふふふふっ」
耳まで裂けるような口から笑い声がする。
「あっち行けよ!」
力いっぱい叫ぶと、すっと路地に姿が消えた。なのに頭の上から歌が聞こえてくる。
「おうちがだんだん遠くなる~、遠くなる~、
今来たこの道、帰りゃんせ~、帰りゃんせ~」
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