【戻らない依頼主】

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「……この間、仕立屋って言ってたから……こんな経験もいいと思って」 「ありがとうございます、丁寧に作業いたしますね。富澤さんが一生でも大事にしてくださるように」 言うと、彼女は再度上目遣いで──その目が、じわりと潤んだのが判りました。 どうしました?と聞く前に、また視線を下ろしてしまいます。 「……うん。大事にする」 消えてしまいそうな声でしたが、はっきりと聞こえました。 やはり尋常ではありません。 「あの……なにか悩み事でも? 私に解決する力はないですが、お話くらいなら」 彼女は再び私を見て、すぐに視線を落として、生地をひと撫でしてから首を左右に振りました。 「悩みじゃないし……ただ、ちょっと……取り返しのつかない事をしてしまったと思って」 「取り返しの……?」 「ありがとう、気に掛けてくれて。大丈夫だから、気にしないで。相変わらず優しいよね」 「いえ、そんな事は……」 当たり前の事をしているだけです。 生地の見本をいくつか合わせてみて、赤の中でもやや紫みが強く、渋さが際立つ葡萄色(えびいろ)のコール天を選びました。 それから伝票を作成しました。 「それでは、こちらに住所と名前と電話番号を」 「はい」 彼女はソファーに座ったまま、身を屈めて書いてくださいました。     
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