三章

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「しかし、墨村がこんな目に遭うとは思わなかったよ」 営業用の車内にて、私が濡れタオルで腫れた目を冷やす横で鑑田主任が真顔で呟く。 「27年生きてて私も初めてですよ」 普段の私は割と世渡り上手なつもりだ。 「何か心当たりでもあるのか? 俺でよければ聞くけど」 心配そうな顔をしている辺り、全く自覚がないらしい。 ……そうだな、聞いて貰おうか。 私は濡れタオルを目から外す。 「あの人達は私が鑑田主任と仲が良いと気に食わないみたいなんです」 「えっ……!」 鑑田主任がぎょっと目を見開く。ハンドルを握る手が震えているから動揺しているのが一目瞭然だ。 驚いたあと、続きの言葉が出てこない。でも何となく予想はつく。 「今、『俺のせいで申し訳ない』って思いました?」 「あ、う、うん……」 声が完全に裏返っていた。どうやら混乱しているらしい。私は淡々と聞いた。 「……『勘違いさせるから距離を置かないと』って思ったんじゃないですか?」 自分の立場を解り過ぎている彼にとっては、今回のことは大失態だろう。 彼の口からしぼんだ言葉が紡がれる。 「うん……ごめん。墨村に迷惑」 「離れるなんて、許しませんよ」 「……え?」 礼儀正しい鑑田主任が「墨村」と親しげに呼び捨てするのは私だけ。そこに恋愛の情がないことは分かっていたけど、それでも気分は良かった。今になって思えば、調子に乗ってるようにも見えるだろう。 「どうやら私は貴方を憎からず思っているみたいなので、ライバルとやらが何人いようが、真っ向から立ち向かうのが道理でしょうね」 「ま、待って、頭がついて来てない……」 大学の駐車場に車が停まった。運転上手な彼が頭から突っ込んでるので、本当に気持ちが整理できていないのだろう。 社長の跡取り息子なだけで、性格は至って普通じゃないか。 私は主任のネクタイを引っ張って無理矢理こっちを向かせる。 私を本気にさせて、タダで済むと思うな。 「私が貴方を落とします。覚悟してください」
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