8人が本棚に入れています
本棚に追加
-----遠くで、誰かが手を降っていた。
小さな手をいっぱいに広げて、ありったけの笑顔を見せたその子のもう片方の手には、紅く染められた花が握られている。
白く切り取られた風景の中で、その子が立つその場所のみは色鮮やかな花々が咲き誇って、淡く滲んだ夕焼けが花とその子自身を美しく映えさせた。まるで写真として飾られた景色は、何処か懐かしくも、もう決して届くことはない幻想のように目の前で揺らめいた。
俺はその匂いに惹かれて、歩を進め手を伸ばす。
一歩、また一歩と、その子の笑顔の元へと進み続ける。しかし依然として距離は縮まらず、どれだけ手を伸ばしたところで、その子の笑顔に自分の手が届くことはない。
触れたくても触れられない、そのもどかしさに歯軋りをした俺は、それでもと足を運び続けた。
もう、その子の笑顔に。その子の小さな手を、二度と握り締めることは出来ないと知っていながら。
◆◆◆◆
「……ぁ」
瞼を開いて最初に飛び込んできたのは、見慣れぬ天井に向かって伸ばされた自分の腕だった。見れば腕には、誰かしらが処置を施したのだろうか、包帯が雑に巻かれている。
「……ここは」
全身から届く痛みに歯を食い縛りつつも、何とか上体を起こして周囲へと目を向けた。
丁寧とは言えないが傷に対しての処置が施されていることと、心なしか全身に走る痛みも和らいでいることから野戦病院か何処かかと考えたが、自分が今寝かされていた薄暗い部屋の中を観察してみると、どうもそういった場所では無いようだった。
石造りの壁や床、ボロボロの本棚には二冊ばかりの本と、あとは木彫りの人形が不規則に並べられている。自分が今居る寝台の横に置かれた机には空になった酒瓶と、蝋燭、あとは錠剤が裸で何粒かばら蒔かれていた。
これは野戦病院というより、民家といった方が適切だろう。
しかし分からないのは、何故自分がこんな所で眠っていたのかということだ。記憶を追えば、マクシムと共に行動していたはずであったが、それからの記憶が曖昧だ。
「そうだ……マクシム」
色々と考えるべき事はあったが、一先ずは彼と合流すべきだろう。彼もまた酷い重傷を負っている。自分と同じように処置をされているかもしれないが、彼の状態はより深刻だ。一刻でも早く適切な治療を行える場所に連れていかなければならない。
最初のコメントを投稿しよう!