開口一番・開幕

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 えー弟子の私が申すは大無礼、と重々自覚はしているのですが、「なんだてめえ! 言いたい事があるのならハッキリと言わねえか! その方が純粋なんだよ!」との教えを、私は日々その御方より身体に叩きこまれ続けております。  なので私は「ありがたいありがたい、為になったな、為になったよ、流石師匠、うん。さて、我が〝師〟の教えから意図を最大限汲みとった行動、それは一体なんなのだろう?」と日々自問自答を繰り返しました。  私は常に目前の『師自身』という問題へ全力で立ち向かい続けました。  もし負けそうになれば、「私の考えも認めろ!」と、対話である以上は師ではなく、一人間の〝彼〟であるとして対等を求め続け、破門ギリギリ、彼のインハイ喉元を意図も容易く(えぐ)りとる、のではないかという切れ味ある発言を師弟間の遠慮などは一切無しに、いつからか毎日のように投げこみ続けておりました。  しかし、いくらなんでも(おの)が師匠へ対する生意気無秩序モンスターな振る舞いをする普段の私を皆様が目にすれば、ほぼ全員が間違いなく『コイツは一体何様のつもりだ』との偏見を見るでしょう。これは間違いない、重々自覚しております。  しかし、またしかしですよ。  私はいつも悩み続けていたのです。師が私へ叩きつけてくる助言という優しさを、そのまま受けとり、そのまま真似をしていて本当によいものなのかと……。  やたらに尺が長くて退屈な一方的持論は、いつも押しつけがましく無理矢理に私の口へあてがわれます。  「いいから早く食べなさい、ほら美味しいよ」などと言いたげです。  そんな『ペットを飼い殺す際の(じょう)(とう)手段』を私へと平然で行い、「いつか骨抜きにして歯向かえないようにしてしまおう」という、(あん)()(こん)(たん)までも、彼からは見え隠れしています。これは完全な対話のなり損ねであるお師匠様直々の『お調教』であると私は受け取っております。  更に、彼は『伝統』という過去にも私を無理矢理に縛りつけようとします。
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