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調教残業を受けているときは、現実逃避に過去を遡り、自らのひたむきや彼へ対する恩を蘇らせ、目前の師匠をなんとかフォローしようと努めてみるのですが、結局やっぱり腑に落ちない気に食わない縛られると結論し、弟子失格のいけない後悔をしてまた悩みが増えてしまいます。
それでも、自意識が汚される『お調教』と『伝統稽古』へ日々通い続けました。
だって私が自ら望んで選んで手に入れた人生です。
修行せねば勉強せねば我慢せねば、楽しまねば。
しかし腑に落ちず溜まっていく自意識の汚れ、これを調教稽古度受け止め続けていると、いつしかこんなことを考えるようになってしまいました。
「未来の私。それはこのままだと、師匠が優しさで広げる掬い手の受け皿を経て流れてきた垢水のみを啜って成長した落語家なのではないだろうか?」
これは、まったくもってただの杞憂、考えすぎであると言えます。本当にしょうもない苦悩であると今ではハッキリと言えます。ですがいつしか、杞憂が私の脳裏に、こびりついて離れなくなってしまったのです。
過去のしがらみに揉まれ揉まれて辿りつくもの、それは誰もが皆賛辞し金を落とすほどに綺麗に表面上を整えられた未来の私。それってもはや『私』ではないのではありませんか?
でも、皆が望むならそれで良いか。
いや、分からない。
それでも一つだけハッキリとしているのは、人間が成長して変わっていくことに対する疑問。
「何が成長であり、何が自分らしさか」
そんな簡単なことすら、まるで見失っていました。
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