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階段を登りきった文一郎は、膝に手を置き前屈みになる。浅くなった呼吸を深いものへと変えようと試みる。上がっていた息を整えるのは毎日のルーティンだ。同時に朝の澄みきった空気を味わっていると、いつも連れて歩いているトイプードルを『あんこちゃん』と可愛がっている吉田と目があった。
今日も『あんこちゃん』が短い足をセカセカと動かして吉田と歩いている。
リードの長さが愛情の大きさと比例しているのは、文一郎が唯一気になるところだ。
「国分さん、おはよう。今日もえぇ天気やなぁ」
「吉田さん、おはようございます。これだけ天気が良いと、畑の野菜も美味しくなるんじゃないですか?」
吉田は、野菜を作るのを趣味にしていて、いつも夫婦揃って畑に立っているオバサンだ。採れた野菜は、近所に配り歩いて、文一郎も此処、楠穂神社で朝の採れたてを貰ったことがある。
野菜の価格が高騰する近年、貰って嬉しくない人は、居ない。故に、彼女の愛犬あんこを繋ぐリードの長さに対しての苦情は、近所から来ない。文一郎は、野菜を貰った時に全てを悟り、同様に何も言っていない。
吉田は、文一郎の言葉に、すでに野菜を褒められた気になる。
「今度、ジャガイモ掘ったら持ってくるから、お孫さんにも食べさせてあげて!」
上機嫌に快活な声で文一郎に答えていた。
出会って半年程の吉田から野菜を貰うことに慣れていない文一郎は、曖昧な笑みを浮かべて礼だけ述べ、彼女と別れた。
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