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コーヒーとココア
赤から黒へ染まりつつある空の下、人と人が行き交う雑踏の端、植え込みの縁に腰かけて、流れていく人を見送る。
(都会ってすごいなあ)
千種はちょっと愕然しながら、駅から吐き出され、そして駅に吸い込まれていく人の波を眺める。人混みに慣れない千種など、あの波に乗っているだけで疲労困憊になってしまったのに、中には人を器用にすり抜けて前へ前へ進んでいく人もいて、きっと人種からして違う人なのだろうなんて思う。
だが、いつまでもこうして見入ってはいられない。
知らない人に話しかけるとき、胸の中はいつも騒がしい。人と話すのは苦手ではないが、知らない人は、どんな人が相手かわからないからどうしても緊張してしまう。それがそのまま鼓動の早さに反映されてしまっている。できれば、話しかけるの、避けたい。それでも、どうしても確かめたいことがあった。
若い男性がたまたま目についた。ちょうど自分の前を通り過ぎようとしている。……彼にしよう。そう決めないと動き出せないから、そう決めて、彼が声の届く範囲に来るのを待つ。
「あの」
腰を上げ、彼の前に立ちはだかった。
「はい?」
怪訝な顔が千種を迎えた。高校の制服を着ていても、彼にとっては身元の証明には見えないのだろう。変なセールスとか、もっと変なやつとか、そういうのに見られてしまっているのを肌で感じた。
「あそこにいる人ってお知り合いですか?」
理由は何でもいい。ただ、そこを見てさえくれればいい。
指差した先には、植え込みを背にぼうっと立つ、春先にしては少しばかり厚着すぎる服装の男性がいる。浮いた出で立ち、人波を避けた立ち位置、ゆえに、視線も向きやすいはず。
だが、千種が声をかけた人は、「え? どの人?」と、鈍い反応を返してきて、千種は諦めにも似た感覚で、ああ、やっぱりと思った。
「あっ、ごめんなさい。もう行っちゃったみたいです。お手間とらせてすみません」
ぺこぺこと何度も頭を下げる。若い男性は「ああ、そう?」と釈然としない顔をしながら、素直に去っていく。忙しい日々の中、こんな変てこな出会いとやりとりは、明日にはきっと、忘れている。
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