剣と魔法と、銃

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 人は生まれつき全て平等である、と誰かが言った。 しかし現実として、世界はそうではない。誰もが天・・・或いは「神」、もしくは「運命」によって与えられた肉体と、能力と、才能で生きていかなければならない。 この世界には「神性」と呼ばれる能力がある。これは生まれもっての能力で、後天的に取得することはまず、在り得ないとされる。  この能力を持って生まれた者は幸せだ・・・と思う。  本人はどう思うか知らないが、この神性があれば力の差はあれ、それを持たない者にはできない事ができる。  例えば、手の届かない場所にある物を引き寄せる力。何もない空中に爆炎を生じさせる力であったり、剣術家でも斬れないであろう大岩を安物の剣でも容易く両断する力。  しかも、その力は持ち主と共に成長する。幼子の頃には涙ほどの水滴しか生み出せなかった者が、大人になってから洪水のような大水や雪氷を生み出し、村を救ったという話も珍しくない。  神性は誰にでも与えられるものでは無い。人の顔や体の差があるように、これも差がある。そして、顔や体と違って、人の手でどうにかする事はできない。そして、神性を持った者とそうでない者が同じルールで戦えば、九分九厘、持つ者が勝つ。  とある学者が学会で発表した説に拠れば、神性を持つ者は世界の人口に単純換算して三割、持たない者は七割だという。神秘的な力を持つ彼らは、それを持たない者たちに羨望と畏怖の念を持って見られていた。  俺も、その一人だった。幼馴染の少女が大人の背丈ほど宙に舞い上がるのを見た時、何とも言えない敗北感を味わったのを今でも覚えている。   それから二十年の歳月が経った。  神性をもつ者は未だ、高い地位と身分を約束されていたが、科学技術というものも驚異的な速度で発展していた。自分が子供の頃には想像もできなかった、大地の血で動く車。これは馬をも凌ぐ速さで移動できる。神性の無い人でも灯すことのできる光、電気。  そして銃。これは戦争のパワーバランスを少なからず変動させた。  かつて戦争とは、いくら兵の数が多くとも、その国の軍に所属する神性持ちの人数と力を中心に回っていた。例え自国が千の兵を持ち、相手が百の軍隊でも、敵の百人が神性をもった兵なら、こちらには勝ち目がない。いざ相対すれば、剣や弓で武装した兵は見えない力に武器を弾かれ、すぐに無力化されてしまう。
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