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しかし、どうやら滝沢は美織に気があるらしかった。
とくに用もないのに話しかけてきたり、晩御飯を食べに行かないかといった誘いを頻繁にしてきた。
その度に美織は、適当にあしらっていたのだが、最近はそれすらも億劫になってきていた。
「滝沢先生はないわ」
「どうしてですか? 顔だってなかなかイケメンじゃないですか」
「顔の問題じゃないの。私はああいう風にチャラチャラした人が苦手なのよ」
明日香は納得できないのか、眉を曲げて首を傾げた。
「そんなの、付き合ってみてから判断したらいいじゃないですか。案外チャラそうだと思っていた人が真面目だったり、真面目そうな人がダメ男だったりするんですから」
「そうかもしれないけど、付き合ってダメになったときのことを考えたら、冒険なんてできないわよ」
三十代なら尚更失敗はできないと美織は思った。
「美織先生はもしかして、世界のどこかに自分と相性のあった完璧な相手がいて、いつかは巡りあうことができる、とか思ってます?」
「そんなことはないけど、できるだけ相性の良い人と出会いたいとは思ってる」
明日香は立ち止まった。
つられて美織も歩みを止めた。
顔を上げると道路の向かい側にスーツを着た男性が同じように立ち止まっていた。
そこで初めて、歩行者信号が赤になっているのだと気が付いた。
「結婚相手に、完璧な相手なんて現れないんです」
明日香は前を向いたまま抑揚なく言った。
「ならどうすれば幸せになれるか。それは、過去に付き合った屑みたいな男たちと比較して、あいつらに比べたら今目の前にいる男はましだなと思うしかないんです」
いつもの明日香とは違う、暗い影のようなものを感じた。
「上しか知らない人は、自分が上にいることが分からないんです。恵まれているはずなのに比べるものがないから不安でしかたないんです。でも、底を知っている人間は地上にいても幸せだと思えるんです。決して大きな幸せを味わえなくても、僅かな幸せに満足できるんです」
美織が何か言わなければと思考を巡らせているうちに信号は青に変わった。
明日香が歩き出したので美織も追いかけるように足を動かした。
「ある程度は底を見てきた私から言わせてもらえば、自分のことを好きでいていてくれる人がいるだけで美織先生は幸せですよ」
振り向きながら明日香は笑顔で言った。
いつもの明日香に戻っていた。
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