3.本が消える音

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3.本が消える音

「もう二度とするんじゃないよ」  そう言われ、あなたは今、自分が棚から抜いた本を手に、店の裏手のドアを出た。その本はもう返本するから裏の蔵にある返本用の段ボール箱に入れてきてくれないか、と頼まれたからだ。  既に雨は上がっていたが、地面は生え散らかした雑草が水分を含み、歩を進める度にじゅわりと広がる。左手の方に(つた)に覆われた白かったであろう壁があり、屋根の瓦は何枚か剥がれ落ちていた。それが地面に破片となっていたが、入り口の前だけは綺麗に取り除いてあった。  蔵の観音開きになった戸を、本を持ち替えて、右手で引っ張る。中から誰かが押さえているのかと思うほどの抵抗があったが、それが不意に摩擦音を上げて開いた。  ふっと、臭う。黴臭いが、それだけではない。もっと複雑な清濁入り交ざったものだ。  中に入ったあなたは手探りで壁に明かりのスイッチがないかと思うが、何も触れなかった。まだ夜まで時間があるものの外は明るいとは言えない。太陽の欠片でも見えればそうでもないだろうが、とても望める状況ではない。  仕方ない、と諦め、店主に言われた返本用の段ボール箱を探す。  しかし、蔵の中にはそんなもの、一つもない。  生温かい風が、(ほお)()でていった。  何だろう。  蔵の奥を見る。  そこに、一枚の紙切れがあった。端が千切れているものだ。  さっきあったろうか。  自問しながら確かめようと一歩を踏み出した。  その足音がしたのだと、あなたは思った。  だが立ち止まっても、音は続いている。  しゃ、しゃ、という摩擦音。くしゃり、という何か軽いものを潰す音。それが鼓膜を通じて、あなたに響いている。  しゃしゃ、くしゃ。  しゃしゃ、くしゃり。  右か。いや左か。  あなたは振り返り、蔵の入り口を見た。外が薄ぼんやりと見える。  手にした本を、あなたは一度だけ見て、その足元に投げようとした、  その手だった。  別の体温が、触れた。  思わず本を落としてしまう。  けれどその本は床にまで届かずに、すうっと消えてしまった。  喉を、あなたの唾液が通る。  小さく膝が震えた。  慌てて振り返り、体をここから出そうとする。  でも動かない。  いや、動けない。  入り口は見えているのに、体の前に、何かがいる。  ほう、とやや甘い、苺のそれにも似た芳香が漂った。  べり、と紙を割く音が、蔵に響く。  背後を見る。  何もいない。  居るはずがない。  その目の前を、一枚の本のページが舞った。一瞬確認できた文章は、あなたが数日までまで読み耽っていた本のそれだと、理解してしまった。  あなたの本は、消えていなかったのだ。  そう思ったあなたの右の頬が、あなた以外の手で触れられた。  心臓は信じられない速度で動き、息が止まる。  鼻腔を苺の匂いが満たした。  分からない。  両目を涙が覆った。  声は出ない。  たすけて。  という言葉が、消える。  あなたの耳に、何かを喰む音だけが響いてくる。  それは徐々に近くなり、やがて、あなたの右の耳たぶに、液体が触れた。
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