その 35

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野球部員の体つきも確かに変わってきたが、 マネージャー、三原のぞみの態度や言動も それ以上に変わってきた、 最初こそ、 部員達も、腫れ物に触るように『三原さん』と呼んでいたが、 木澤純二が、『ジャーマネ』と呼び方を変え、 ウインドミルの特訓が、ベース前6mあたりに近付く頃には、 皆が、『のんべー』と、 親しみを込めて呼び始めていた。 これも、最初に呼び出したのは木澤純二だった。 「のんべーと、フジモンを甲子園に連れて行つてやっからなーー」 それが、 冬を越えた部員達の合言葉にもなっていった。 中学時代、手の付けられない不良だった木澤純二は 強豪陸上部で思い切り挫折を味わい、 不登校という レールから外れた三原のぞみのことが、 誰よりも分かっていたのかもしれない。
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