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野球部員の体つきも確かに変わってきたが、
マネージャー、三原のぞみの態度や言動も
それ以上に変わってきた、
最初こそ、
部員達も、腫れ物に触るように『三原さん』と呼んでいたが、
木澤純二が、『ジャーマネ』と呼び方を変え、
ウインドミルの特訓が、ベース前6mあたりに近付く頃には、
皆が、『のんべー』と、
親しみを込めて呼び始めていた。
これも、最初に呼び出したのは木澤純二だった。
「のんべーと、フジモンを甲子園に連れて行つてやっからなーー」
それが、
冬を越えた部員達の合言葉にもなっていった。
中学時代、手の付けられない不良だった木澤純二は
強豪陸上部で思い切り挫折を味わい、
不登校という
レールから外れた三原のぞみのことが、
誰よりも分かっていたのかもしれない。
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