猫屋敷

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猫屋敷

   「猫屋敷」と呼ばれる家があった。  通学路の途中の四つ角に建つその家は、あの頃にはまだ珍しかった洋風の建築物で、屋根には風見鶏、壁には蔦が這い、正に「お屋敷」の名に相応しい外観をしていた。  「猫屋敷」と呼ばれた所以は、もう長らく人が住んでいないその空き家に、多くの猫が棲みついているからだと聞いていたが、家の周りで猫の姿を見かけることは、これまで不思議と一度もなかった。 「それでもたまに、鳴き声が聞こえてくるんだって」  下校班が一緒の男の子がそう言ったが、友達とワイワイ賑やかに帰る道すがらでは、その鳴き声を聴き逃がしてしまっていたのかもしれない。  そう思った私はある日、いったん自宅にランドセルを置いてから、再び独りで煮干しを手に猫屋敷へと偵察に向かった。  猫の鳴き真似をしたり、口笛を吹いたりしながら、耳をすましつつ家の周囲をうろついていた。するとどこからか 「みゃあぁぁぁ、みゃあぁぁぁ」 という弱々しい鳴き声が微かに聴こえてくるではないか。子猫か? 子猫がいるのかと浮き立ち、窓から家の中をのぞこうと背伸びをしたところ、 「コラ! 他人様の家に勝手に入っちゃいけません」  近所のおばさんに見つかってしまい、すごすごと退散する羽目になった。  それからも猫屋敷の近くを通った時、ふとした機会にあの子猫の鳴き声の様なものを耳にすることが幾度かあったのだが、その周囲で、猫を目撃する機会は最後までなかった。  小学校を卒業すると、その道を通る事もなくなり、数年後には進学の為に故郷を離れた為、私の中の猫屋敷の記憶も薄れていった。  再び私が猫屋敷の事を思い出したのは、先日はじめての子供を出産した際だった。  小さく産まれた息子は、細い身体で弱々しく泣いて乳を欲しがった。その泣き声を聞いて、ようやく私は気づいたのだ。  あの頃、猫屋敷で聞いた「みゃあぁぁ、みゃあぁぁ」というか弱い鳴き声は、猫ではない。生まれて間もない、赤ん坊の声だったのだと。  あの日、窓から覗いた部屋の中に見えた、色褪せた布が掛けられた家具の中に、ぽつんと置かれた揺りかごがあった。西洋の昔話に出てくる様な籐で編まれたそれは、もちろん中は無人だったが、何故かゆっくりと揺れていた。  引き出された記憶に、鳥肌が立った。  猫屋敷は現在では取り壊され、その跡地には大きなマンションが建設されたという。
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