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誰も座っていない座卓の上に、赤いネットに入ったみかんと書きかけの年賀状が積まれている。マグカップに入ったままの白い液体は恐らくホットミルクだったもので、しわの寄った膜を張っている。
単身用のワンルームには柔軟剤や箪笥の匂いが生温かく揺蕩っている。家主はいない。いるのは、レースのカーテンから外に向けて64式7.62mm小銃を構えている私だけだ。
この窓の向かいには、二車線の道路を挟んで、白塗りの壁の小さなホテルがある。ベランダの柵には花々の蔦が緻密な計算のもと絡み合い、華奢なテーブルセットまである。陽が暖かい時期にはその上で茶器を広げてアフタヌーンティーに興じる宿泊者もいるのだろう。冷え込みの激しい今は閑散としている。私はそこに、銃口を向けていた。
もう一時間ほどそうして待っている。体が芯から震え始め、裾のほつれたモッズコートの襟を抱きしめるように締めた。暖房や電気ストーブは点けていないので、銃口を覗かせた窓の隙間から冷気が忍び込む。ストーブを切ったのは、上層部がここの住民に札束を見せて一時撤退させたという経緯のもとで、他人の家に上がり込んで肩身が狭いからというわけではなく、「家庭」という温かみに触れると帰り道に自分を保っていられなくなると思ったからだ。
そう思ったのだが、私は今日、家へ帰れるのだろうか。まっすぐ帰宅するのは危ないだろう。依頼人が政治家と言えども、人を一人殺そうとしている。任務が終わるとすぐに指示に従って逃げることになっている。数日はどこかのホテルに隠されるかもしれない。
私は一層目を細めて、カーテンの隙間からホテルの窓を監視した。一人の人影がちらついている。 私は、彼がタバコでも吸いにベランダに出るのを小一時間ひたすら待っていた。
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