待つ

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 後鳥羽義明(ごとば・よしあき)はある世界では名の知れた男だ。その名を本当の意味で知っている人は口にすることさえ恐れる。彼が水面下で泳ぐ巨大な鮫のように、政界で見えない糸を引いているとも言われている。  今まで不可解な死や破滅があれば彼の名が囁かれていたが、誰も真相に首を突っ込もうとはしなかった。  しかし、今年に入り、あることがきっかけで彼は表舞台へと馬脚を現す。原因不明の新型感染病が蔓延したのだ。大きな大学病院でも治療できず医者も頭を悩ませているうちに、それは国中に広まり猛威を振るった。そこで出回ったのは、正規ルートでは手に入らない「ワクチン」だった。闇取引でそれは徐々に広がり、病の感染は勢いを弱めていった。相反して、そこで支払われた金はある集団を強くしていった。それが、後鳥羽義明の率いる団体だった。    私は白い息を吐く。清い言い方をすれば「妻の仇を討とう」としているのに、指先が震えている。  窓の外を白く儚い雪が所在無げに舞った。葉のない枯れ木や人通りの少ないこの通りで、唯一、時の流れを知らせた。心臓が常に早鐘を打っている。早くその時が来てほしいのか、このまま待ち続けていたいのかわからない。行きつく先に括りつけられた爆弾に向かってじりじりと焦げていく紐のようだ。まあ、引き金は自分のタイミングで抜くのだが。  痺れるような寒さにも関わらず、黒く重量のある物を握る手は汗をかいていた。同じものが一筋こめかみをなぞる。  あいつがベランダに出て来るかもわからないし、果たして出てきたとして、私が引き金を引くタイミングがあるのかもわからない。結末もわからずに、ただ待つしかないのだ。  レースカーテンに映る人影は、テーブルの前に足を組んで座っていた。書類の束に目を通しているようだ。次に「ワクチン」を投与する顧客のリストだろうか。そこに、以前は妻の名前も載っていたと思うと手を伸ばして破り捨てたかった。  正確には、「ワクチン投与患者の名簿」ではないことを知っている。始めはワクチン投与が目的でも、最初から最後まで「臓器提供を勧める脳死状態になった患者」リストなのだ。
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