鼻で語るひとびと

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 まぎらわしい言葉はほかにもあって、「こんにちは」は「フフスンクッ」(「クッ」は小さく鼻を鳴らす)というのだが、「クッ」のタイミングが少しでも遅くなると「やさぐれ母ちゃん」という意味になるので、とくに中年女性にむかって挨拶するときは注意が必要だ。  そうは言っても、フンフ族も前後の文脈から相手が何を言わんとしているのか推測するので、簡単な日常会話程度なら、多少滑舌(という表現が正しいかどうかはわからないが)が悪くても差し支えない。  困るのは鼻がつまったときである。フンフ族の中には、鼻炎や蓄膿症になりやすい遺伝的傾向は淘汰されてきたので、鼻づまりになる者はめったにおらず、それが逆に彼らの鼻づまりへの理解を阻んでいる。あるとき、風邪をひいたジョリノフスキーが鼻をすすったところ、そばにいたズーフが「フスン?」(何?)と振り返り、「フンフフ」(なんでもない)と答えたら、今度はズンズルが「ンフン?」(呼んだ?)と反応したという。これは笑い話でもなんでもない。  かくいう僕も、はじめて半裸の男どうしが顔を近づけてふんがふんがと鼻息を吹き合っているのを見たときは、こみ上げる笑いに必死で堪えた。あっちの沢で大きな魚が漁れたとか、むこうの森にはもう獲物がいないとか、日常的な情報交換を行っていただけだったのだが、知らない人が見たらふざけあっているようにしか見えない滑稽な光景であることに異論はない。     
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