鼻で語るひとびと

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 紀行文を書くための取材とはいえ、子供を作っていいのかという倫理観とずっと格闘していたが、価値観は土地や時代によって変わるのだ。このジャングルの奥地は、現代文明社会とはまったく別の時間が流れている。そう考えるようにした。  滞在中、フムフン青年は、三日に一度、様子を見るために五十キロはなれた町から車で村にやってきた。彼もフンフ族の血筋なのだが、彼の祖父は生まれつき難聴で、鼻語をうまく話せなかったために、宣教師を通じて町の施設に預けられた。少年の片言の鼻語はその子や孫に受け継がれ、一族は、文明社会とフンフ族の懸け橋となって、ガイドや役人の職を得ることができた。  フムフンは旅行会社や研究機関から引っ張りだこの売れっ子ガイドで、彼自身も鼻語の研究者だった。ジョリノフスキー以上に鼻語に詳しい。鼻語の起源については諸説あり、敵や獲物に気付かれずにコミュニケーションをとるために発達した鼻息での合図だというのが一般的な説で、ジョリノフスキーもこれを支持しているが、フムフンによると、敵国に捕らえられ、さるぐつわをされた奴隷たちの間ではじまった会話法だという。ムエタイやカポエラの蹴り技は手枷をされた奴隷や捕虜が編み出したというし、僕もフムフンの説に賛同した。     
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