鼻で語るひとびと

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 翌朝、目が覚めるとフフンはいなくなっていた。僕は、開放された出入口から吹いてくるさわやかな朝の風に誘われるように、表に出た。まばらに草の生えた砂地に木漏れ日が降り注いでいた。足の裏の感触が心地よく、どこかで鳴いている鳥の声や歌うような猿の声を聞きながら、しばらく立ち止まった。低い木々に囲まれた小さな広場は平穏そのものだった。  川のほうから子どもたちの声が聞こえてきた。フンフ族は、大人になるとめったに声を出さなくなるが、子どもは声をあげてはしゃぐ。その声に導かれるように、僕は林を抜け、土手を進んだ。草地を下りていくと、川が見えてきた。岸辺に生えたさまざまな広葉樹の枝葉が日照権を奪い合うようにひしめいていた。その下の岩場で、女性や子どもが水浴びをしていた。黄金色の陽の光を浴びながら全裸の少年少女が水浴びをしている光景は、美しさを通り越して、神々しかった。  そのなかに、幼い弟をあやしているフフンの姿もあった。腰まで水につかったフフンは僕の視線に気づくと、恥じらうような表情を見せ、両手で自分の胸を隠した。僕はこれまでに感じたことのないような焦燥感にとらわれた。子どもたちのくすくす声を背中に受けながら、彼女のしぐさは僕のまぶたの裏からしばらく消えなかった。  男衆は明日帰って来る。旅人が村に立ち入ることができるのは一度きり。フフンともお別れだ。     
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