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慶喜は新しく京都を牛耳る諸藩に向け、「今こそ長州を踏みつぶす時である」と意気込み、長州への進軍を呼びかけますが、そこへ待ったをかけたのが、薩摩藩でした。
後に維新の両輪となる薩摩藩は、ここで長州を叩き潰してしまったら幕府の思う壺だと読んでいたのです。
このままでは棲まないのが、長州浪士たちです。
そのなかでも、来島又兵衛は曲者で、自らの指揮する遊撃隊五百人を伴い、幕府軍と一戦交えるといきり立っておりました。
そこで、藩命によりこの曲者を静めよと仰せつかったのが、晋作でした。
晋作の胸中は複雑だったでしょう、晋作も攘夷派の過激思考の男でしたし、又兵衛と近い考えをもっていたからです。
「なぁ、来島の爺さんよぉ、ここは抑えてくれんか」
晋作は、親しみを込めてこの幕末に現れた戦国武将のような五十がらみの男に語りかけます。
「晋作、貴様は藩命とあらば志も曲げる腰抜けに成り下がったか!我等は一夜にして洛中を追われ、今や朝敵とさえ呼ぶ者もおる!ここで長州こそが尊皇攘夷の旗手なのだと世に記さねばならぬ時ぞ!」
晋作ははじめから又兵衛を説得出来ないと薄々感じていました。
又兵衛側にも事情があり、遊撃隊幹部に引き入れた他藩の者に焚きつけられ、長州がやらぬのなら私らのみで決行するのみ、と脅しめいた言葉をかけられていたのです。
晋作には頭に血が上った五百人の集団を説き伏せる事は到底無理でした。
晋作は、又兵衛の言い分を聞くだけ聞くと静かに口を開きました。
「わかった!来島の爺さんの言いたいことは十分わかった!上方にはこの情況を変えんが為奔走している桂や久坂がおる、どうだろう僕がこの足で上方にのぼり、現状を伝えてくる。それからでも行動は遅くはあるまい」
又兵衛も渋々首を縦にふりました。
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