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そればかりか、地域で崇められているご神木(僕の記憶が曖昧で、小さな社だったかもしれません)に、祟りが起こるか起こらぬか試してやる!と、小便をかけたり、兎に角手が付けられなかったそうですが、後者の話は、後に晋作の師匠となる吉田松陰の逸話でも似たような噺を聞いた記憶があるので、この噺は長州の偉人逸話アルアルなのかもしれません。
で、青年になった晋作は、親の反対も意に返さず、ある塾に通い始めます。
長州志士専門学校「松下村塾」です。
何故この塾に通う事を晋作の父、小忠次が良く思ってなかったのかには、二つの理由があったのでしょう。
一つは、この塾で教える吉田松陰は国家の罪人だったからです。
松蔭は、思い立ったらまっしぐら、「行きたいところには行きたい、見たい物は見たい」という情熱を喰って生きているような人物で、国を揺るがせたあの黒船に密航しようとし、捕まった人物だったのです。
晋作が教えを受けていた時期の松蔭は、自宅軟禁状態で、倒幕思想に燃える危険人物だったのです。
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