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第二の危惧は、その教え子の大半が、貧しい下級武士の子達だったからです。
生粋のサラブレッド一族「高杉家」の一人息子が、そんな得体の知れない塾に通っている。
父親からすれば、大事な一人息子が怪しげな新興宗教に入信してしまったようなきもちだったのかもしれません。
しかし。この塾に通っていたからこそ、晋作は後に長州維新の中心人物となり得たのです。
塾生には、この塾に誘ってくれた桂小五郎・久坂玄瑞・伊藤博文などもいて、初代総理大臣伊藤博文などは、晋作に金魚の糞のようにつきまとっていたようで、同窓と言うより、晋作の「舎弟」もっと砕けた言い方をするならば「パシリ」のような存在だったようです。
元悪ガキの晋作も、松下村塾で松蔭の教える勉学や、国際情勢の面白さに目覚め、秀才久坂玄瑞と肩を並べるほどの存在感を発揮して行きますが、晋作に江戸留学の命が下ったため、松蔭の元で教えを受けた期間は一年あまりでした。
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