行動の男 晋作

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 上海から帰国後、晋作は仲間や藩主に上海で見聞きしてきた現状と、いずれ日本もそうなってしまうと説きまわります。  上海で見てきたイギリス人の姿に嫌悪を抱いたのか、黒船騒動以来持ち続けてきたおもいなのか、晋作の怒りの矛先は異人に向かいます。  異人暗殺計画を企てたり、品川にある英国公使館を焼き討ちにしたりします。  やっている事はテロリストで、歴史ファンの中で維新の志士嫌いの人達は、こういった行動が毛嫌いの原因だという方もおおいでしょう。  しかし!世の中のモラルの基準を過去の時代に当てはめることこそ危険だと私は思います、だって、いまの基準なんて百年後二百年後に笑いの種になってるかもしれないじゃないですか。  モラルなんて家電のもうなモンで、型落ちになったからって、その機種を便利に使っていた時代も尊重しなくっちゃいけないとおもうんですよね・・・    話を晋作に戻しましょう。  桜田門外の変から時代は、攘夷派と呼ばれる志士たちの時代に変貌して行き、京都の実権は長州藩が動かしていました。  長州藩は、三条実美ら公家を抱き込み、朝廷にすら口出しが出来る立場にまでなっていたのです。  そこで、政治的体力の衰えのみえる幕府に揺さぶりをかけます。 「京都に来て天皇に挨拶せよ」  三百年近く「王」として君臨してきた幕府からしてみれば屈辱です。 「幕府っていうのは朝廷の部下だろ?京都の御所まできて挨拶するのがスジってモンだろう?」  と、長州側が裏で言っているのは、当時の政治状況から見て誰でも予想はつきます。 「くそぉ!長州の成り上がり者ども!いつか目に物見せてやるぞ!」  と、たぶん幕府側も燃えた事でしょう。
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