51人が本棚に入れています
本棚に追加
しかし、当時のパワーバランスとして、幕府は上京せざるおえません。
十四代将軍家茂入京の数日後、事件がおきます、やらかすのは我等が晋作です。
天皇が加茂神社に参拝に行く際、家茂一行の随行することとなり、その行列を伊藤俊輔等と参観することとなった晋作は、目の前を行く将軍家茂に対し。
「いよぉ!征夷大将軍!」
と、まるで芝居で贔屓の役者に声援をおくるような声を張り上げます。
周りの空気は一瞬凍り付き、横にいた俊輔は卒倒しそうになりましたが、晋作だけは高笑いしてこういったそうです。
「古来より征夷大将軍というのは夷狄を討つための照合じゃ!その大将軍に声援をおくらずにおれようか!」
ペリーに対して弱腰外交だった幕府に対する痛烈な嫌みであります。
このエピソードは、どうも後に造られた逸話らしいのですが、晋作を知る者が、晋作なら行列をただ黙って見ていたはずがない、と作り上げたのでしょう。
要するに、それぐらいのことを平然とやってのけそうな男なのです。
僕は、このエピソードを初めて、司馬遼太郎先生の「世に棲む日々」で読んだとき、ニヤリとしてしまったのでした。
しかし、晋作という男は野心的な行動を見せながらも、役職には興味がなかったらしく、藩主から朝廷とのパイプ役とも言える、学習院用掛の職を拝命するのですが、それをあっさり辞退してしまいます。
「しかも十年間のお暇を頂きたく存じます」 と、十年の求職届けを出し、武士の命とも言える髷を剃り落とし、丸坊主になってしまったのです。
私たちが良く目にする晋作の写真は、この時丸坊主にして、ザンバラ髪にのびてきた後のものですね。
「僕はこれから東行(とうこう)と名乗る」 一説には中世のお坊さん、西行の生き方に憧れた晋作が、西ではなく東へ行く者として名乗ったともいわれています。
法衣のような物を着込み、すっかり坊さん気取りの晋作は、長州に帰国し隠居してしまいます、が、時代がこの男を隠居坊主にさせておいてはくれません。
最初のコメントを投稿しよう!