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晋作、奔走と挫折
そうこうしている間に、京都の情勢は長州の知らないところで動き始めていました。
孝明天皇が長州の暴走に耐えきれなくなっていたのです。
長州は、仲間に引き入れた公家を使い、勅命を乱発し、長州の意のままに朝廷を動かしていたのです、それに気がついた孝明天皇は「長州の暴走を止める事の出来る藩はおらぬのか」
その画策をかぎ取ったのが、薩摩藩です。 薩摩藩は長州に危機感を抱く者と結びつき、夜中に朝廷内へ潜り込むと、天皇直々の勅命を取り付け、長州藩の御所警備職をといてしまったのです。
寝耳に水の長州側は、三条実美等攘夷派七人の公家たちと、長州に逃れます。
「七卿落ち」です、ようは、天狗になって朝廷を意のままにしようとした長州藩と、その時流にのって朝廷内で有力ポジションに就きたかった七人の公家の都落ちですね。
この日を境にして、京都は薩摩・会津・幕府などが仕切るようになり、世の中は百八十度転換してしまいます。
京都に居る幕府側代表は、後に最後の将軍となる一ツ橋慶喜。
一ツ橋慶喜は、徳川家茂が都に上がる際事前視察から将軍の同行まで勤めた人間です。
あの日、将軍が朝廷の裏で手を引く長州に京都まで呼びつけられた。という、屈辱を身に染みて感じていたのは、慶喜だったのかもしれません。
「長州の者ども、いつか目に物みせてやるぞ!」
あの日の煮えくりかえった腹の内を果たす時がやってきたのです。
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