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 馬鹿じゃねえのか。俺は、医者じゃねえんだ!  思わず口をついて出かけた言葉を周庵は、辛うじて飲み込んだ。  八助と名乗った見るからに貧しげな風体の若い男は、元々病ではあったが、焼け出されて以降めっきり弱ってしまった母親を見舞って欲しいと言うのだった。 「わたしは、本道(内科)ではない。そこに、金創(きんそう)・骨接ぎと書いてあるだろうが」  金創というのは刃物傷のことだ。周庵が望んだわけでは無いが、長屋の木戸には、住人の職業を記した木札を、名札と宣伝を兼ねて打ち付けておくものだということで、大家が勝手にそう書いた。  もっとも、無学な者に本道も外料(がいりょう)もありはしない。ただ、医者という括りで頼ってくるのだから、迷惑千万である。 「でも、余所じゃ、とても相手にしてはもらえねえ」  貧しい者の中には、病にかかっても医者どころか薬を購うことも出来ず、いよいよ病が篤くなってから、せめて最後に一度くらいは――と、高価な薬を買ったり、医者を頼ったりする者が多かった。  だが、なるほど金にもならぬのに、助からぬと分かっている病人を診ようという医者はいないだろう。患者が死ねば、それだけ評判に瑕が付く。 「……仕方がない。近所の誼だ。ちょいと様子を見に行くか」
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