母という名の逝き者は

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私の母はいわゆる【毒親】というやつだった。 母は常に自分が正しいと思っている人で、少しでも自分の考えを否定されたり口答えをしようものなら盛大にキレて手が付けられなくなった。 それは子どもが生まれると顕著になり、子育てに関する諍いで父と離婚したくらいなので相当なものだったと想像に容易い。 そんな母に三歳上の兄は従順に従い、上手く転がし要領よく生きていた。 しかし私は唯我独尊的な母が大嫌いで、事ある毎に反発し、言い争い喧嘩ばかりしていた。 でも、こんな母でもごく稀に優しい時はあった。 私も素直に母の言うことが訊けて、母の機嫌がよい時は本当に穏やかな時間を過ごすことが出来た。 もっともそんな時間は長続きせず、私にとっては常に苛々していてキーキー怒鳴っている母の姿しか記憶になかった。 そんな母の束縛から早く解き放れたくて、母が勧めた大学受験を蹴っ飛ばし高校卒業後働き始めた。 それと同時に家を出てひとり暮らしをする決意をした。 家を飛び出る際『もう二度とこの家には帰って来ないから!』と言い放ち、それに対して負けん気の強い母が『一生顔を見せるんじゃない! おまえなんかわたしの娘じゃない!』と怒鳴りながらいつもの見慣れた怒り顔を晒した。 そしてそれが私が見た、生きている母の最期の姿だった──。
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