母という名の逝き者は

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実家から戻り、またいつもの生活が続くこと一週間。 未だに母の日記を見ることが出来ないでいた。 その存在は常に私の頭の中にあり、見たいような見たくないような気持ちが行ったり来たりを繰り返している。 おそらく読めばきっと後悔するだろう。そんな予感があった。 母の呪縛から完全に逃れられた今、日記を読むことによってまた何らかの形で私を侵食するかも知れない母の本音が書かれた物を読むのが怖い──そういう気持ちがあった。 それからまた数日。 読まない選択をしたが、どうしても日記の存在が頭から離れることはなかった。 (あぁ、もういい加減にして!) 死んでも尚、母が私を苦しめている気がしてならない。 読まない苛々が余計に私の中に母の存在を大きくして行く。 これは本末転倒ではないだろうか。 (……決めた) 日記を読もう。 母が私に対してどんな気持ちでいたのか、どんな風に思っていたのか、その本音を知ろう。 母の本意を知れば益々母のことが嫌いになり、軽蔑し、不謹慎ながらもその存在が私の前から永遠に無くなったことに喜びを感じるかもしれない。 兎に角、今以上に母のことを疎ましく感じることはないだろうと思い、意を決して母の日記を手に取りページをめくった。
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