荒寥《こうりょう》の家

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 いつも繁忙期には仕事で家に帰れない日が続き,申し訳なく思っていたが,どんなに遅く帰っても妻はいつも笑顔で僕を迎えてくれた。  育児がどんなに忙しくても文句を言わず,家庭のことをすべてやってくれる妻には頭が上がらなかった。  しかしある日の晩,ベッドの中で妻の態度がこれまでとは違い,どこか冷めているような気がした。  それはほんの些細なことではあったが,僕の心に小さな棘を残したように感じた。このところ,あまりに仕事が忙しく,帰りも遅く,きちんと会話ができていなかったことで妻の機嫌が悪くなっているのかと思った。  妻とは学生時代から三年付き合い,結婚してからは十年近く一緒にいる。この十三年間,僕の妻に対する気持ちは強くなるばかりで,仕事の呑みでどんなに酔っ払っていても妻に会いたくて少しでも早く帰宅したいと思うほど大切にしているつもりだった。  そんな妻の些細な変化が僕を不安にした。直接聞けばよいと思うのだが,あまりにも小さなことで僕自身,なにを聞いたらよいのかすらわからなかった。 「疲れてるの? 体調悪いの?」  そう聞けば「大丈夫だよ」と笑顔で返してくるだけで,それで会話は終わってしまった。  僕の知らない妻がいるのではないかと思える得体の知れない違和感と,もし妻が僕に秘密をつくっているのなら,それを知りたくないという恐怖心に飲み込まれるような思いがした。
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