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震える指で、エントランスのインターホンを押す。すこし間があって、声もなくオートロックが開いた。階段を駆けのぼる。早くなった呼吸が、暗い廊下で大きく響く。
三階の、いちばん左のドアの前に立つ。表札はない。体が勝手にドアを開けていた。
カギはかかっていなかった。馴染んだ玄関、靴の数だけが少なくて、乱暴に脱ぎ捨てリビングへ飛び込む。
がらんとした部屋の中心で、十夜は立ちすくんでいた。はっと振り返った、その驚いた顔をみて、ああ、玄関の呼び鈴を押すの忘れたな、と気づいた。我に返ったとたん、息苦しさが襲ってきて、うっかりむせ込む。
「だいじょうぶですか」
あわてて背中をさすってくれた十夜の腕を反射でつかんで、その熱さにびっくりしてすぐに離した。十夜は目を丸くしている。どこも変わっていない。ひと月ほどしか経ってないのだから、当然だ。それでも懐かしかった。
どうして、なんで。引っ越しは、学校は? 聞きたいことはたくさんあって、けれどどれから聞いたらいいか分からずに、口を半開きにしたまま、立ち尽くす。
「ごめんなさい、おれ、ウソつきました」
十夜が口をひらいた。
「引っ越し先決まったって、あれウソです。本当は、探してもいません。管理会社に頼んで、ここの契約を引き継がせてもらったんです。だから、おれ、ずっとここにいました」
部屋を見渡す。物は少なくなっていたけれど、家具の配置も、家電の種類も、どれも同じだ。
「なんで」
「おじさんと、離れられるか試したくて」
十夜は、立ったまま体の前で両手を組んだ。
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