前後不覚

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翌日の夜。 仕事終わりに直行で、久しぶりに店へ向かった。重なる七色のライトに、爆音のようなBGM。初めて来た時こそ緊張したものの、今はこの雰囲気が気に入っている。 「お、悠じゃん。久しぶり~」 なにか頼もうとカウンターへ行くと、ひとりの青年が隣にやってきた。もう何度も顔を合わせてる、なんならキスしたことある青年だ。名前は翔真(しょうま)。 清心はこの店では「(ゆう)」と名乗っている。その場限りで遊びたいときは偽名で通す方がずっといい。よほどフィーリングが合って関係を続けるわけでなければ詮索されないよう気を払う。 「ご無沙汰だけど、もしかして好きな人でもできた?」 「いいや。忙しかっただけだよ」 当たり障りのない回答をして頬杖をつく。頼んだモスコミュールを乾いた喉に流し入れた。 好きな人、と言われると微妙な気持ちになる。 気になる人、なら白露で間違いないけれど。 彼は子どもだし、記憶がないし、何よりこの世界にいない。そんな対象を相手に未来を考えるのは無謀なことのように思う。 ただ、彼と会っている間はそんなこと……どうなってもいいから、ずっと彼と一緒にいたいと思う。ぐずぐずに溶かして、捕まえて、駄目になるほど甘やかしたい。そんな狂気的な思考と目が覚めるのは、こちらに帰ってから。 あの場所は夢の世界だ。ずっと夢見ていた、心地よい場所。帰りたくないという白露の気持ちも分かる。 「ま、今日は楽しめよ? 俺はちょっと向こう行ってくる」 「あぁ」 翔真はグラスを持ってホールの中央へと去っていった。知り合いと絡むのではなく、きっとタイプの初顔を捕まえに行く気だろう。清心自身も、初めて来たときは彼に捕まった。 こういう場所に抵抗なく、ひとりで来られるようになったのはいつからだったか。そんな遠くない記憶のはずなのに、朧気で確信が持てない。 ただ上がりまくってたことは覚えている。震える手でドアを開け、人の間を縫って先へ進んだこと。 何度も引き返そうと思った。初めて自分と同じ人達の集まる場所に来られたのに、場違い感が否めなかったんだ。 ここにいちゃいけない────そう思って踵を返した時、翔真に捕まった。いきなり自己紹介されて、手を引かれて。その時はちょうどダンスパーティのイベントがあったから、中心に引っ張りだされて顔から火が出そうだった。 帰りたい。心の中で軽く百回は呟いた。 けど踊り疲れて座り込んだとき、緊張や不安はどこかへ消えていた。
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