行方知れず

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しかしこのとき、一年前の事件が怒涛のように清心の脳裏をよぎった。 自分が同性愛者だと知られたら学校中に噂が広まるかもしれない。そしたらあのとき苛められた少年のようになる。考えただけで恐ろしくて、身震いした。 要は弱かった。 恋慕より自己愛、自己保身に比重を置いた。弱かったから、自分以外のことは考えられなかった。……俺を好きと言ってくれた、あの子の気持ちを考えてやれなかった。 だから言ってしまった。自分を守るために放った最低最悪な台詞。 ─────「気持ちわるい」。 そう答えたときの彼の顔が、名前が、やはり思い出せないでいる。 嬉しかった思い出は絶対忘れたくない。 なら嫌な思い出は忘れてもいいのか? そういうわけじゃ、ない。本当はどれも大切な思い出だ。世界中でたったひとり、自分だけが体験し、抱いた感情の結晶。その記憶を失っていいなんて思わない。 きっと忘れたら楽だ。でも完全に手放すには底知れない不安がついて回る。鞄の幅をとる折り畳み傘を家に置いていきたいけど、雨が降ったら困るから持っていく。そんな程度の畏れ。 いらないはずのデータを消去せず、パンクするまで放置しておく。いつか使えるんじゃないかと思って手元に保管する。人は得てしてそういうものなんじゃないか。 完全に手放すのは怖い。それは全て防衛反応からくるもの。 「何で……?」 清心は暗い部屋で俯いた。 十年前に一番仲の良かった相手がいる。 だが卒業アルバムを見返しても、それが誰なのか全く分からなかった。 忘れるはずがない……のに。 唯一の可能性を上げるなら、もう意識的に消したとしか考えられなかった。 匡も言っていた健忘症の病因とは本当に様々で、無意識的なものから意識的なものまでケースが分類されている。 自己防衛のためなら、脳は時に恐ろしい働き方をすることがある。 だが、いくら自分を守るためとはいえ親友を忘れるなんて酷い。勝手に傷つけて勝手に傷ついて、勝手に忘れて。こんな身勝手な人間が他にいるだろうか。 叶うなら今すぐにでも謝りたい。気持ちわるいなんてこれっぽっちも思ってなかった。告白してくれて、本当はその場で飛び跳ねたいぐらい嬉しかった。……同じ高校に行きたかった。 そんな彼とは中学卒業を機に離別した。 その先のことは何も知らないし、三年前の同窓会にもいなかった。いたらさすがに気付いてるはずだ。
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