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「何だ、もう帰っちゃうの? これからが楽しいのに!」
終電が迫る深夜零時。外の張り付いた静寂と反対に、クラブ内の賑わいは最高潮にあった。
今日は前々から予定されていたイベントの日だ。この界隈では一番大きなゲイバーで、皆朝まで飲み明かすつもりで来ている。
自分もその輪に入るつもりだったのに、胸の高鳴りがぱったりとやんでしまっていた。いつもの様にはしゃぐ気にはなれず、踵を返す。
「ごめん、また来るよ」
「マジか。まぁしゃあないな。気をつけて帰れよ」
顔馴染みの常連に頷き、店を出た。
秦城清心、二十五歳。都内の広告会社で営業をしている青年。
そして、同性愛者。特筆すべきはこの一点だが、私生活でそれを前面に出すことはない。社会的な印象を優先し、普段は異性に興味があるように振舞っている。
しかし夜になればこういった出会いの場に顔を出し、人脈を作ることに奔走していた。
恋人という特定の対象が欲しいわけじゃない。何なら一夜限りの相手で構わなかった。
たった一瞬でも良いから、現実を忘れさせてくれる刺激が欲しい。
そう思って顔しか知らない相手とも関係をつくったりした。今日もそのつもりで、気になるタイプがいればお持ち帰りするつもりだったのに。おかしいな……。
────急に嫌なことを思い出してしまった。
これではとても楽しむことはできない。
それに“嫌なこと”という表現も微妙だった。正確には、清心にとって大切な記憶でもある。乱暴に扱ってはいけないが、だからといって素敵な思い出というわけでもない。
辛く、悲しく、自分が許せない。そして尊く、激しく焦がれている。……大切なひとを想う記憶。
十年前の今日。
それは清心が、自分という人間を呪った日だった。
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