32 10月の宴 23【森谷】

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32 10月の宴 23【森谷】

 俺たちが椅子代わりに座っているのは、校舎三階の階段の上から二段目。  すぐそこの廊下は、それほど多くはないが人通りが絶えない。  それでも俺たちが邪魔にならないのは、階段の右壁から左壁に渡された紐に貼られた 手書きの「部外者立ち入り禁止」の紙のおかげだろう。  この校舎が文化祭で公開に使用しているのはこの階まで。  ここから上には、学校関係者しか入ってはいけませんということになっている。  と言っても、実際には紐引っ張って紙貼ってあるだけで、入ろうと思えば余裕で入れる。  入ったところで、得になるような何かもないけど。  俺より一段下には、三年の浅野先輩が座っている。  用も無いのに俺を連れ出した張本人。 「はい」  先輩がどこからか取り出したのは、校内の自販機で売っている缶コーヒー。  俺の目の前に差し出してにっこり笑う。 「…どーも」  断るのもなんなので素直に受け取っておく。  プシュッと封を開けて口をつける。 「飲んだな」  何かを企んでいるような低い楽しそうな声で先輩が言った。 「……これ、くれたんじゃないんですか」 「タダで、とは言ってないだろ」 「詐欺じゃないですか、それ」  先輩は、俺の浴びせた非難になんて全く動じる事はない。  それどころか、ありえない事を言い出した。 「キス一回で手を打とう」 「……」  呆れて物も言えない。  と言うか、言われたこっちが恥ずかしい。 「嘘だって。拉致ったお詫び」  俺が何も言えずに固まっていると、先輩がケラケラと笑いながら肩を軽く叩いてきた。  一瞬、この場合はどっちのが安いんだろう、なんて考えた俺も大概だけど、そんな嘘を平然と吐けるこの人もこの人だと思う。  俺は安堵の息を吐きながら、さりげなくジリジリと先輩と距離を取った。  それを見た先輩が苦笑する。 「同じ人類だろ。そんなに怖がるなよ」  だからと言って、先輩は無理に引き寄せようともしないし、自分からも寄ってはこない。  それにしても「人類」とは、また大きな括りできたもんだ。 「今にも食われそうで怯えずにはいられません」  思わず溜め息が漏れる。  なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。 「だったら食えば?」 「はぁ?」  どうやってそういう発言に辿り着くのかは理解できないが、冗談なのか本気なのか判断に困る口調でさらに続ける。 「よく言うだろ。『食われる前に食え』って」  言わねぇよ。 「初めて聞いた言葉です」  そんな逆説っぽい言い方をしても騙されてやらない。  結局は、先輩の告白を受け入れろって事だろ。 「まぁ、とにかくだな。俺は美味しくいただかれちゃっても一向に構わない、という事だ」  この人は、めげるという事を知らないらしい。  そんな事言われても、俺が構う。 「……美味しいんですか」  …って、俺も何を聞いてるんだか。 「食えば分かるって」  俺の間の抜けたセリフに、満面の笑みでそう言う。  そうくると思ってたよ。 「イヤですよ。そんな闇鍋みたいなのは」  闇鍋なんて実際にしたことなんてないし、これからもするつもりはない。  だから、断るのが俺としての道理だろ。 「手強いなぁ。ハルくんは」  クスクス笑って、呼ばれ慣れない呼び方で俺を呼ぶ。 「その呼び方、どうにかなりませんか」 「なりませんねぇ」  のんびりと他人事のように言う。  せめて、「くん」は止めて欲しい。 「先輩は、俺なんかのどこがいいんですか」  それが最大の謎だ。  好かれるような事、した憶えなんてないのにな。  だけど、先輩の口からは俺が聞きたかった質問の答えは出てこなかった。 「『なんか』とは何だ。俺が惚れた男だぞ。侮辱は許さん」  イヤ、そんな事言われても、俺の事なんだけどな。  しかもズレてるって。 「自分の事でも駄目ですか」  方向を修正するのも面倒になって、脱力したままそう言った。  そしたら、先輩は今までとは違う真面目な表情になった。 「自分の事だから駄目なんだよ」  ………。  この人って、結構…。 「ハルくんは、好きな人がいるって言ってたよな」  何なんだよ、いきなり。  人がせっかく評価を上げようとしているのに、突付かれたくない部分を針先で刺されてその気が失せた。 「ええ、まぁ」  俺に好きな奴がいることは、告白された時に伝えてあるので今更隠す事じゃなかった。 「告白はしたのか?」 「…振られましたけど」 「ほら見ろ。自分の事を『なんか』とか言ってるからだ」  勝ち誇ったように言われた。  別に、そんな理由で振られた訳じゃないと思うけど。 「言っときますけど、俺が自信無くしたのは振られてからです。その前までは、それなりにありましたよ」  思わずムキになって本音が漏れてしまった。  俺が好きなのは、同じクラスの瀬口。  その瀬口は、これまた同じクラスの塚本と付き合っている。 「奪えるとは思ってなかったけど、あそこまでシッカリくっ付いてるとは思わなかったよなぁ」  矛盾していると言われれば認めるしかない。  瀬口が意識しているのは塚本だけで、他の男なんて当たり前すぎる程に完全に対象外。  表情が全然違うんだよな。  最初から分かっていたから、余計にどうしようもなくなってしまった。  俺は、塚本といる瀬口が欲しかったんだ。  その時点で、俺はもう駄目なんだって分かっているから。 「未練がましいな」  抑揚の無い声で率直な感想を言われた。  わざわざ先輩に言われなくても、十分すぎる程自分で分かっているよ。 「先輩こそ」  嫌味を込めてそう返してやった。  たけど、相変わらず先輩には無意味だった。 「俺は自信があるからな」  「何の?」なんて聞かなくても分かってしまうのが嫌だ。 「俺が落ちるって?」 「そう」  案の定、当たり前のように頷かれた。  そんな自信満々に言われると、とてつもなく不安になるから止めてほしい。 「どっから来るんですか、その自信は」 「とりあえず、ハルくんがここにいるって辺りから。本気で嫌がってたら、俺と話しなんかしないだろ」  なんて前向きな。  でも、全部がハズレじゃない。  告白とかそういうのがなければ、俺は浅野先輩の事嫌いじゃない。  さっき逃げていたのは、また告白されるんじゃないかと思ったから。  こうして、ただ話しをするだけなら全然嫌じゃない。 「先輩って…変、ですよね」  ふと、思ったことを口に出していた。  こんな言い方をして怒られるかと思ったけど、先輩はそういう人じゃなかった。  怒るどころか、身を乗り出して笑う。 「興味湧いてきたか?」  あ、嬉しそう。  男で、年上で、「可愛い」なんて言葉似合うような人じゃないのに。  少しだけ、血迷ってしまった。 「不本意ながら」 「それは何より」  複雑な俺の心境なんてお構いなしに、満足そうな表情を見せる。 「俺、そろそろ行きます」  腕時計を見ながら言うと、俺に用事があると思ったらしく引き止めたりはしなかった。 「はいはい。拉致ってゴメンな」  告白してきたなんて嘘のように、未練なんて欠片もなく送り出される。  強引なくせに、本当の意味での迷惑は掛けたりはしない。  力加減が上手い。  立ち上がって、階段を数段降りて動きを止めた。  手に持ったままの缶コーヒー。  無視しようと思っていたけど、気が変わった。 「忘れるところだった」  独り言のように呟いて振り返ると、こっちを見ている先輩と目が合う。 「何?」  不思議そうに言った先輩の前まで戻って身を屈めた。  左の頬に、掠める程度に唇を当てる。  先輩は軽い冗談のつもりで言っただけで、俺が本当にするなんて思ってなかっただろう。 「ご馳走さまでした」  呆然としてる先輩なんて珍しいから、自然に顔が綻んでしまう。  墓穴を掘った自覚くらいある。  けど、ちょっとした満足感を味わえるなら、すぐに埋められる程度の穴くらい悪くない。
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