【一】

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「七夕祭り振りやね」 「あっ…お前は!……いや、貴方は……」 二人を出迎えた住職の黒袈裟姿を見て、辰之助は思わず声を上げた。 すかさず甚助が、「兄上、あのお坊さんの事知ってるの?」と言葉を投げる。 ざわめいた二人の様子を見て、黒衣の住職は静かに微笑んだ。 忘れもしない、一昨年の七夕祭りで、峰丸の屋台に来たあの僧侶だ。 独特の京訛りが混ざった関西弁と、人当たりの良さは相変わらずだ。 ――だが、今は辰之助と甚助の面倒を見てくれる有り難いお坊さんだ。 兄弟は、宗運に深々と頭を下げた。 「この寺院も、境内はほぼほぼ倒壊してしもうた。 大したおもてなしはできひんかもしれんが、地域の子供を支えるのもまた寺院の務め。 …情勢が落ち着くまで、東寺(ウチ)の手伝いをしてくらはる様に、一丁頼んますわ。」 宗運は、穏和な口調で兄弟にそう説明すると、丁寧に礼をした。 江戸時代には、『駆け込み寺』の存在が庶民に広く知られていたが、古くから寺院は、武家を中心に教育機関や緊急避難所の役目を負ってきた。 ――とは言っても、戦国時代にその恩恵を受けられる子供は殆どが武家の子供であったから、松永兄弟は安井宗運に顔が知られていた事が幸いした特例であったろう。 話が終わると宗運は他の僧侶に呼ばれ、部屋を出ていった。 すると、ほう…と甚助の口から溜息が洩れた。 甚助は宗運と初対面だったが、一目で宗運の事を気に入ったらしい。 「すごいね、立ち振舞いが本当に雅やかで。都の人って感じがする」 「そうかぁ~?…俺はああいう男はいけ好かねぇけどな……」 「兄~上~っ。」 甚助の制止が入り、辰之助は複雑そうに唇を尖らせた。 こうして、松永兄弟は安井宗運が管掌する大原寺に住み込み、寺小姓として働かせてもらう事となった。
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