【一】

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兄弟が大原寺に住み込む様になって数日が経過した。 被災した当時は泣きじゃくっていた甚助も、幾分か不安が和らいだ表情が多くなった。 父・寅次郎の死から一週間余りが過ぎたが、兄弟は未だ衝撃に立ち直れずにいた。 今でも甚助は話していると時々泣き出す事がある。 まだ元服もしていない子供であるから、両親の行方に対して上手く心を切り替えられないのだろう。 甚助が泣き出す度に、辰之助は彼を宥めて励まし続けた。 一方、辰之助自身も、脳裏に崩壊した我が家の光景が蘇り、心にさざ波が立つ時があった。 彼の場合、『冷静な兄たらん』とする意識が強かった為に、もっぱら一人の時に枕を濡らしていた。 そして、一頻り泣いた翌朝に起き上がると、何故か毎回部屋の外におにぎりが置かれていたので、辰之助は次第に泣かなくなった。 (多分、あの世話好きで奇特な坊さんがやってるんだろうな) そう目処を付けていた為に、それ以来宗運に会うたびに辰之助は挨拶を欠かさなくなった。 季節は早くも五月を過ぎ、初夏の新緑が成長し顔を出す時節となった。 その間、松永兄弟は他の寺小姓たちとともに大原寺の僧兵の元で勉強し、寺の雑用をこなして過ごした。 安井宗運は忙しい僧侶であった。 朝は大原寺の本尊に読経をした後、仏僧達との会議に出席し、住民に請われれば訴訟ごとに乗り出し、時折知らない所へと出掛けていった。 辰之助から見ると、その身分の違いゆえに話す時間は殆ど無かったのだが、床を拭く雑巾を搾りながら辰之助は、寺の内外を駆け回る宗運を見守った。 最初松永兄弟は知らなかったのだが、この地方には『内済』と言われる役職が存在し、宗運がその一人らしい。 そう寺小姓の先輩から耳にして、辰之助は今まで心に引っ掛かっていた疑問が氷解する気がした。 安井宗運は外見こそ、他の僧侶達とは違った法衣を着ていて、元々の顔立ちも相俟って余り僧侶らしくない僧侶ではある。 その容姿は、野山を駆け巡って育った為に余りお洒落というものに縁がなかった辰之助から見ると、華美に見えたものだが、それはどうやら『内済』と呼ばれる役職の制服によるものらしい。
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