【二】

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松波庄五郎は、元々僧兵であった。永正二年の政争のさ中、宗派違いの僧兵と刀傷沙汰を起こし、投獄されて八幡へと引っ越してきた。 松波庄五郎は、仕事一筋で、槍を振るうことがプライドでありアイデンティティーの様な男であった。 そして、野心に溢れていた。 投獄されて八幡で暮らす様になってからも、彼は軍略を描き続け、同派の僧侶達に手紙を送り続けた。 その心には自分を切り捨てた僧侶達への復讐心と再起への炎がくすぶっていたが、資金がなかった為に表立った動きはしなかった。 その裏で、妻は内職の無理が祟って早死にし、息子は寺から呼び戻されて身を粉にして父のために働いた。 峰丸は無言で軍略図と証文を拾い上げると、そっと踵を返した。 そして、足音を聞いた庄五郎の悲鳴めいた罵声は、一段と激しくなった。 「俺をっ、俺をっ俺をっ俺をっっ!見捨てるのか、おおおおおぉぉぉぉ親子の癖に……!――このッ、人でなしがァァ――――ッ……!!」 峰丸は、まるで哀れむかの様に、瓦礫の底に今にも踏み潰されようとしている庄五郎を見た。 不思議と憎しみの情は無かった。 ――いや、今までにそういった感情を味わった事がなかったと言えば、嘘になる。 今はただ、目の前の、若く絶頂だった頃の栄光に追い縋る初老の男が、ただただ――1人の人間として、悲しく、哀れで、一抹の恋しさすらも感じる様であった。 「……安心しろ」 峰丸はそう呟くと、軍略図をぴりり、と一裂きし、歩き出した。 ――無論、瓦礫の山とは反対の方向へだ。 「俺が望みを果たしてやる。貴方の代わりにな。……父上。」 峰丸は、もう、後ろを振り返らなかった。 静かに崩れ落ちた家の前から去り行く峰丸の耳に、すがり泣く様な「死にたくねェよォ―――」という声が聞こえてきた。 そして、それは次第に小さくなっていった。
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