おーい中村くん

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 鹿児島県立加治木高等学校 1995年  文武両道を校訓とする鹿児島地方有数の進学校であり、かの歴史作家海音寺潮五郎氏の母校でも知られている。 僕はそこで学業の成績も運動も下から数えた方が早いボンクラ生徒だった。 姶良郡(現姶良市)内から選抜されてくる成績優秀者達。僕みたいな何かの間違いでギリギリ入学出来た者もいれば、生まれた時から医学部や東京大学への道を運命づけられている人もいた。  担任に 「中村ァお前は勉強も運動もやっせんがー(ダメだな)」 と罵り続けられていた。 地方とはいえ進学校。その優秀な選抜者が皆同じように勉学に励んでいるので、僕のようなボンクラが毎日3、4時間勉強したところで試験の順位は下がりこそすれ上がることはまったくなかった。びくともしない鋼の如き学力差の壁。  うだつのあがらないまま一年の高校生活は終わり、僕はそのまま二年生になった。 進級の際クラス替えがある。加治木高校は二年時に文系・理系の選択がなされ、9クラスある中、文系トップは2組、理系トップは7組と選別がなされる。 文系を選択した僕は勿論、2組ではなく4組。通称文系最低成績クラス。 僕は当然の結果を慎んで受け入れ、
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