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第1章 苦悩
扉の向こうから階段を駆け降りる音が聞こえてくると、相模大輔は抱えていた頭をあげた。
いつの間にか窓からは夕日が射している。
どれだけの時間をそうしていたのか。相模自身にも分からなかった。
そして目の前の原稿用紙は真っ白なまま。
どうしても筆が進まなかった。
原稿用紙の上で、黒い万年筆が死んだように横たわる。
使い込まれた万年筆は年代物。金文字で書かれた『Identity』の文字は掠れ、いくつかは消えている。
相模は机に積まれたビールの空き缶をハネ除けた。
ガラガラと大きな音を立てても妻と娘がこの部屋に来る事はない。
相模の邪魔にならないように。と言うのもそうだが、二人が来ないのにはもう一つ理由があった。
相模は立ち上がると、壁に掛けられた絵をすがるように眺めた。
「もう少しなんだ……アイディアを……アイディアをくれ」
青空市で見つけたその絵には一人の男が描かれていた。
ほとんどが黒く塗り潰され、男の輪郭も定かではない。
その中で目と剥き出した歯だけが真っ白で一際目立っている。
5才の娘が「こっちを目で追う」とか「口が昨日より開いてる」とか言うようになって、すぐに相模の書斎へ近付かなくなった。
ホラー小説家にとって、そんな娘の反応は創作意欲のエネルギー。
相模はそんな娘に微笑みを向け、頭では『呪いの絵』に襲われる哀れな女の子を描いた。
だがそれも長くは続かない。
どうしても物語が進まなくなったのだ。
「さぁ、呪われた絵よ……お前ならどうする? どうやって奴等を恐怖のドン底に叩き落とすんだ?」
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