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千切ったノートの切れ端
「ごめん、急に飲み会になったから遅くなる」
通話越しでもわかる優しい声色で、気をつけてね、と言うのが聞こえた。男ばかりの社内の喧騒とはまるで別世界だ。甘い響きに酔いしれていると、上司が近づいてきて、電話終わったか、と無遠慮に僕の顔を覗きこんだ。なんだまだ話してんのか、なんて今にも言いだしそうで、慌てて電話を切った。ごめん、亜未。
「さすが愛妻家はちがうね。うちのにも見習ってほしいよ」
「いやー何言ってるんですか、課長の奥さんだって素敵な方じゃないですか。さ、もう行きましょう行きましょう。飲み屋、予約すぎちゃいますよ」
新しく配属された部署は酒豪ばかりが集っていて、飲み会が前の倍以上に多い。周りが当然のように朝に帰る中、僕はせこせこ頭を下げて早めに帰らせてもらっている。
営業の仕事はプライベートも仕事みたいなものだ。作り笑いばかりして、どちらが自分なのかわからなくなる。家に帰って迎えいれてくれる彼女だけが、僕の心の拠り所だった。
亜未は知らないだろうけど、初めて彼女の家にいったとき、あの本を見つけたのを覚えている。本棚はかわいい表紙の文庫本でいっぱいなのにひとつだけ、重厚なハードカバーの存在感が気になった。しかもなかなかに分厚い。それで、彼女が台所に行った隙にこっそり手に取ってしまった。
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